名古屋高等裁判所 昭和38年(う)43号 判決 1963年4月15日
被告人 小泉嘉久
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役二年六月に処する。
理由
第一点 原判示第二の二の強盗の事実を争う論旨について
所論にかんがみ、記録を精査し、原審の取り調べたすべての証拠を総合して考察すると、
(一) 被告人は、昭和三七年五月三〇日岐阜市松屋町六五番地所在金華牛乳株式会社の代表取締役社長高田橋春実と契約して同会社に雇われ、右春実より同人所有の布団を借り受け、同人の甥にして右会社の使用人なる畠中照美の間借り先に同居し、右会社構内の春実方居宅において同人の妻高田橋幸子(右会社取締役)の世話により食事をして来た。右会社においては、従来、新規雇い入れの使用人に対し給料として一ヵ月一万二〇〇〇円位を支払い三ヵ月間継続して勤務した後に手当として毎月五〇〇円を附加して支払うという慣例になつていた。春実は、被告人に対しても右の慣例に従つて給料の支払をする意思であるにもかかわらず、被告人に対してその旨を告知せず、給料について正確詳細な約定をしないで放置していたが、同年六月三、四日頃被告人の質問に答えて、「一ヵ月一万七〇〇〇円位になり、これより食事代四〇〇〇円を差し引く」と申し述べたので被告人は、当初より給料として一ヵ月一万七〇〇〇円位を支給されるものと信じて、その金額に満足し喜んでいた。被告人は、当初は実直に勤務したけれども、元来同一職場に長続きしない性格であり、漸次怠慢になつて遅刻早退欠勤等をするようになり、しかも右の幸子と不和になり、同女の世話によつて食事をすることにたえ難い気持となつたので、同月二十五、六日頃右会社を退職しようとしたが、右会社では給料が翌月一〇日払である事情等を考えて、一応退職を思いとどまつた。しかし、その後は、主として飲食店で食事をし、かつしばしば欠勤した。そして被告人は、同月七月一〇日に右会社を退職することに最後決定的に決意し、同月一〇日の昼間右幸子に対し、退職の申出をすると共に給料の支払を請求したが、たまたま春実が不在であつたため、結末がつかず、同日夕刻春実が帰宅したので、退職の申出をし、かつ同日中に給料の支払をするよう請求したところ、同人が、被告人の退職を承諾したけれども、使用人全員につき給料支給額の精算が未了であつたため、給料の支払を明日に延期する旨を返答したので、やむを得ず、右の間借り先に帰宅した。ここにおいて春実は、幸子と協議のうえ、被告人の給料支給額の精算をし、給料額を一日四三〇円(一ヵ月約一万三〇〇〇円)の割合とし出勤日数を五月三〇日から七月一〇日までで合計二七日として計算して、給料額を合計一万一六一〇円と確定し、その金額より被告人の前借金二七〇〇円、食事代四〇〇〇円、間借り先の部屋代一六〇〇円(照美と折半して被告人の負担すべき部屋代)および布団貸賃一二〇〇円すなわち合計九五〇〇円を差し引いて、結局二一一〇円を現実に支給することとし、紙片にその旨を記載した明細書を作成し、同日午後一〇時頃照美をしてこれを被告人に持参させた。被告人は、春実の前記申述にもとづき、みずから給料額を一日約五六六円(一ヵ月約一万七〇〇〇円の割合とし出勤日数を合計三一日として計算して、給料額を合計一万七六〇〇円程度と予想していたので、右の明細書を見て驚き、かつ憤慨した。その際照美は、右会社の前記慣例を説明し、被告人は、はじめてその慣例を知つたが、給料額を月一万七〇〇〇円の割合で計算すべきものとなし、かつ従来布団借賃支払の約定をしたことがないのみならず、これを支払うとしても四、五百円程度でよいはずであるとなし、強く不満に思い、照美その他の者とも対策を協議し、また労働基準監督署に訴えて出ようなどとも考えて種々苦慮し、結局において、春実に面会交渉して解決するよりほかに方法がないと考えた。
(二) ここにおいて被告人は、同年七月一一日午前一時一五分頃右の春実方居宅に赴いて、同人に対し、「あの明細書はでたらめではないか。給料を一万七〇〇〇円ときめておいたのに、奥さんといざこざがあつたからといつて、給料日になつて、へらさなくてもよいではないか。今夜すぐに払つてくれ」などと申し向け、右春実は、「何がでたらめだ。うちの会社は三ヵ月働いてからでないと一万七〇〇〇円は支給しないんだ。このような夜中には払えんから明日来い」などと応答して極力帰宅を求めた。そこで被告人は、痛く憤慨し、附近炊事場にあつた出刃庖丁(押収にかかる証第一号)を持つて来て相対立し、これにて襖等を突き刺し、かつ原判示第二の一のとおり、春実およびそこに居合せた幸子に対し原判示の各暴行を加えて、それぞれ同人等に原判示の各傷害を負わせた。
(三) 被告人は、原判示第二の二のとおり、右犯行後春実方居宅を退去して被告人の間借り先に帰宅し、反省の結果、自首しようと決意し、同市白木町所在の警察官派出所に赴こうとしたが、途中決意を変更し、とにかく社長宅に行つて給料をもらえるだけもらつて来て別の職場で働こうと考え、同日午前一時四五分頃再び右春実方居宅に赴き、同人に対し、右(二)の犯行当時より引き続き携帯していた右の出刃庖丁を右手に持ち、これを腰につけて相対立し、同人等の身体に再び危害を加えることがあるべき気勢を示して脅迫し、「金を出せ」と申し向け、右(二)のとおり暴行傷害を加えられたので被告人を畏怖している春実は、再び同人等が身体に危害を加えられることがあるかも知れないと考えて著しく畏怖し、よつて附近にあつた洋服のポケツト内財布から現金五〇〇〇円を取り出して交付し、被告人は、これを受け取って逃走した。
という事実を肯認することができる。
弁護人は、被告人が出刃庖丁を右手に持ちこれを腰につけて春実に相対したという原判示事実を争うけれども、この点につき誤認のないことは、前日認定によつて明かである。本件各証拠中右事実と異る趣旨の部分は、原審が信用し難いとして採用しなかつたものであり、原審の証拠の取捨判断、事実の認定に経験則の違背はなく、原判決になんら理由のくいちがいはない。
次に弁護人は、「被告人は、春実に対し反抗を抑圧する程度の暴行脅迫をしていない」と主張する。しかしながら、前記(三)の認定によつて明かであるように、被告人は、深夜出刃庖丁を持参して春実方居宅に赴き、右出刃庖丁を右手に持ち、これを腰につけて、春実に相対立し、同人等の身体に危害を加えることがあるべき気勢を示したのである。しかも、その行為は、被告人が右(二)のとおり被告人および幸子に対し暴行傷害を加えた直後である。そのように暴行傷害を加えられた直後であるから、春実が被告人を畏怖し再び被告人から春実の身体に危害を加えられることがあるかも知れないと考えて著しく畏怖したのは、社会観念上当然のことであるといわなければならない。右の事実関係のもとにおいては、被告人は春実に対し反抗を抑圧する程度の脅迫をし、同人をして著しく畏怖させ、その反抗を抑圧したとみることができる。右の各証拠によれば、照美は、その間借り先にいたが、春実夫婦が右(二)のとおり暴行傷害を加えられたことを聞知し、心配して、春実方居宅に行つたので、被告人が右(三)のとおり再び春実方居宅に赴いて脅迫行為をした際には、その現場に負傷した春実夫婦のほかに照美がいたことを肯認することができる。しかし、このように現場に照美がいたという事実があつても、叙上の説示を左右するに足らない。右のとおりであるから、被告人が春実を脅迫してその反抗を抑圧した旨の原判示に、事実の誤認、法令の解釈適用の誤等はない。
弁護人は、更に、「被告人は、現実に雇傭契約上の給料債権を有しており、しかも早急にその支払をするよう請求し、春実もまた、そのことを熟知していたのである。このような状態において、被告人が、金を出せ、といつたからとて、そのことを金員強取行為とみるのは不当である。被告人は、その給料債権にもとづき、金をもらえる分だけは払つてくれ、といつたにすぎない。被告人は、その有する権利内容を実現したにすぎず、無権利者ではないのである」と主張する。よつて案ずるに、前記認定によつて明らかであるように、被告人は、春実に対し、原判示のとおり、給料未受領金を取得する意思をもつて、「金を出せ」と申し向けたのである。その「金を出せ」と申し向けた趣旨が被告人においてすでに弁済期の到来している前記給料債権の即時支払を請求するものであり、春実が当時その趣旨を熟知していたとみ得ることは、叙上の認定事実に徴して明白である。そして被告人が現実に支払を受け得る給料額は、春実の精算によれば、前記のとおり、二一一〇円であり、被告人の計算によれば、差引控除額を春実主張の合計九五〇〇円と仮定しても、約八〇〇〇円となるのである。故に被告人が春実より交付を受けた本件金員五〇〇〇円のうち、二一一〇円は、その当事者間に争のない債権額であり、その余の二八九〇円は、争のある債権額であるといわなければならない。そして他人に対して金銭債権を有する者がその債権の支払を請求しこれを受領することは、その権利行使の方法が社会通念上一般に忍容すべきものと認められる程度を超えない限り、なんら違法ではないけれども、その権利行使の方法が右の程度を逸脱し、債務者を脅迫して右の債権額に相当する金銭を交付させたときは、脅迫の程度に応じ、恐喝罪または強盗罪が成立すると解するのが相当である。けだし、このような権利行使は、一種の権利濫用であつて、法律上許されないところであり、結局において、権利行使ということができないからである。本件についてこれをみるに、被告人の受領した本件金員五〇〇〇円全額が被告人の現実に請求し得る給料額であると仮定しても、被告人は、前記のように、反抗を抑圧する程度の脅迫をし、相手方を著しく畏怖させて、その反抗を抑圧し、これによつて相手方をして現金五〇〇〇円を交付させて、これを受領したのであるから、権利行使の方法が右の程度を逸脱し違法であることは、疑がない。したがつて被告人の右所為は、五〇〇〇円全額につき強盗罪を構成するというべきである。
叙上のとおりであるから、論旨はすべて理由がない。
第二点、原判決の量刑不当を主張する論旨について、
案ずるに、原審の取り調べたすべての証拠を検討し、これによつて認め得る被告人の年令性格経歴環境、被告人の知能程度(それは通常より低い。ただし、被告人が本件各犯行当時心神耗弱等の状況にあつたと認めることのできないことはいうまでもない)。被告人と金華牛乳株式会社との間の雇傭関係の状況、本件各犯罪の動機態様、犯罪後の情状等諸般の事情を考慮して判断すれば、原判決の科刑はやや重きにすぎるということができる。論旨は理由がある。
上記のとおりであつて、本件控訴は理由があるので、刑訴法第三九七条第一項により、原判決を破棄する。そして同法第四〇〇条但書に従い、被告事件について更に判決をする。
原判決の確定した事実に法律を適用するに、被告人の所為中、窃盗の点は刑法第二三五条に、各傷害の点はそれぞれ同法第二〇四条罰金等臨時措置法第二条第三条に、強盗の点は刑法第二三六条第一項に該当するところ、右各傷害罪についてはいずれも所定刑中懲役刑を選択し、被告人には原判示の前科があるので、同法第五六条第五七条第一四条に従い、右各罪の懲役刑につきそれぞれ再犯加重をし、以上の各罪は、原判示の確定裁判があつた脅迫罪と同法第四五条後段の併合罪であるから、同法第五〇条第四七条本文第一〇条第一四条により、最も重い強盗罪の懲役刑に法定の加重をし、情状により同法第六六条第七一条第六八条第三号にもとづき酌量減軽をし、その刑期範囲内において被告人を懲役二年六月に処する。なお、原審および当審における訴訟費用については、刑訴法第一八一条第一項但書を適用する。
よつて主文のとおり判決をする。
(裁判官 影山正雄 吉田彰 村上悦雄)